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2007年9月 Archive
Thank you, BOSS...
- 2007年09月30日(日)
- 記 : DAILY DIARY
明日でkeiichi nitta studioを卒業します。ほんとにたくさんのことがあったし、たくさんの人に会わせてもらいました。ROCKをはじめて体感させてくれたのもBOSSでした。踊る楽しみを教えてくれたのもBOSSでした。心から楽しむことを教えてくれたのもBOSSでした。パワーもたくさんもらいました。笑顔もたくさんもらいました。自信もたくさんもらいました。いつもいつも、笑ってすごした一年でした。
パワーランチ、まいせん、親子丼、中華、ギョウザ、ステーキ、焼き肉、大東苑、とうがらし、龍の子、ビックカメラ、スターバックス、ジャンク・スシ、チェロキー、釣り、カスバ、バロン、ageHa、CANON 1Ds Mark II、GR DIGITAL、エネループ、iPod、マルボロライトBOX、ライター、キットカット、アーモンドチョコ、よっちゃんイカ、ベビースター、コーラ、ウーロンハイ、カシスオレンジ、ライフ、バーガーパーティー、花見、keiichi birthday、猫ちゃんフィギュア、マスク、青山ブックセンター、art bank、スリーハンドレッド、太田事務所、本駒込、松濤スタジオ、自転車、タクシー、六本木通り、コカコーラ本社、渋谷駅、マーニ、タワラさん、けいくん、アキモトさん、太田さん、田辺ヒロシさん、ルイス、セス、アレックス、ISAKIさん、mammyさん、キチローさん、ツネさん、キガさん、オバカネさん、Cheeさん、トモさん、マイさん、ドドさん、スタバけんさん、北村さん、亜樹さん、若槻さん、YOUさん、エビさん、wild thing、sukiちゃん、mark, markim, john, junior vasquez, ramones, the cure, dramarama, misfits, Psychedelic Furs, David Bowie, The Rolling Stones, Fischerspooner, Boomtown rats, Rush, The Police, Morrissey, Yeah Yeah Yeahs, Pantera, slayer, Metallica, T.S.O.L. & Tender Fury, Black Flag, JUSTICE, dexpistols, sweetest day of May, wes, Bob Sinclair, hello, goodbye... はじめて参加した撮影dazed&confuzed japan、ビヨンセ・リンジーローハンを撮ったglamorous、下着を撮ったvivi、担ヨネちゃんでお馴染みのstreet jack、毎回スキなように撮影が出来たget on、最高のFUJOROCKでvice、sweet、風船でゲイストーリーのcool trans、マークとずっとtokyoを撮り回ったamerican vogue、モデルが超ローテンションだったvogue nippon、曽根さんのキャラに救われたnylon japan、アイドルphotoが謎すぎたking、M.I.A.やAllison、KAWS、cassie、蒼井優などなど、たくさんのひとたちを撮ったeyescream、いろいろすったもんだがあったけどなんだかんだで楽しかったDVDヤッタネ!、ケミカル・DEXPISTOLSを撮ったwarp magazine、香椎由宇ちゃんを撮ったzipper、モデルが寂しがりやでドキドキしたelle girl、モデルが素人で表情でなくて苦労したocappa、M.I.A.を撮るために雨の中を渋谷を駆けめぐったrockin' on、富士山のちかくまで行って超ハイファッションを撮ったり、J.P.の超ハイテンションでmasterpieceが撮れたELLE JAPON、タワラさん大遅刻で大あわてだった装苑、はじめてのカタログ撮影ANNA SUI、一日渋谷を駆けめぐってBLACK GIRLを撮ったLB-03、最後の最後までトラブルの続いたPLUSH & LUSH、niagaraのシークレットライブを三人で撮りまくったあとショットでベロベロになったHysteric Glamour、酒井景都さんがかわいかったCOLTEMONIKHAのジャケット撮影、企画・スタイリング・モデリング・セレクト・レイアウト・シューティングまで全部携わらせてもらったA BOOKの撮影。そしていままで会ってきた人の中でもっともあたたかくて、元気で、繊細で、いつも誰かのことを思ってくれている暖かいmy BOSS、桂一さん。。。
あまりにたくさんのことがありすぎました。まいにち、ふたりですごしましたね。たくさん、食べましたね。たくさん、踊りましたね。たくさん、笑いましたね。ボスの背中をいつも見ていました。ボスの背中はいつも堂々としてかっこよかった。最後の二週間は、今までの人生でいちばん印象に残る日々でした。たくさん考えたし悩んだし、寝られないくらい悩んだ。きっと、ずっと毎日いっしょにいられたら楽しいと思うんだ。でも、だからこそ旅立ちます。純粋にかかわることのできた一年で一つの区切りをつけたいとおもいます。
がむしゃらに自分のできることを積極的にしていった最初の二ヶ月、蒼井優の撮影ではじめてセレクトをやらせてもらって、そこからだんだんと僕の仕事ができてきた。公式WEBSITEからBLOGまで全部作った。レシート整理から会計までやったし、撮影時にはオペレーターとしてアートディレクターとしてアシスタントとして、いつもボスの隣りにいました。半年目からstudio managerにしてもらいました。それからは納品からクライアントとのやりとり、海外のクライアントと英文メールでやりとり、ミーティングへの参加。なにからなにまで、普通の三倍の濃度でやらせてもらいました。この一年は、ほかのstudioの三年分だと僕はおもっています。それだけのことをやらせてもらえたのは、それだけ信頼してもらえたからだと思っています。それに応えられたかな…。応えられていたら、いいな。
あまりに濃すぎた日々を昇華するためには、少し整理の時間が必要のようです。BOSS、ありがとうございました。こんなぼくにたくさんのことを教えてくれました。それは、何物にも代え難い貴重なものばかりでした。たくさんのものをもらいました。桂一さんは、ぼくをFAMILYとして迎えてくれました。ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。
いろいろなことが今回の卒業のきっかけにはなったけれど、自分の手でなにかをやってみたいと思えたことが最終的な独立の理由、だから胸を張って卒業します。がんばります。つかみます。きっときっと。もっと写真を楽しめる世の中にします。ほんとうの写真というものを溢れ返すような日本に変えます。だから、見ていてくださいね。桂一さん、たくさんありがとうございました。
TOMO

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ありさま
- 2007年09月17日(月)
- 記 : DAILY DIARY

ちょっと写真を撮りに行こうとするとアレもコレもと欲張ってしまい、この"ありさま"です。しかし一台一台の個性がまた違うものでありまして、色味からトーン、画角、軽快さ、画質などなど、それぞれ得意不得意があって、その点からいうと、みな連れて行ってやらないとかわいそうなので、いつもこの"ありさま"です。すれ違う人々は一様に僕をじろじろ見てきますが、それはそれとして、要は自分が良い写真を撮るためのことだけを考えていれば良いのです。
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MAMIYA RB67 / PENTAX 67 / LOMO LC-A / PERKEO I
- 2007年09月12日(水)
- 記 : DAILY DIARY

今後使用する写真のフォーマットについて最近いろいろ考えていて、とりあえず自分が持っている機材でたどり着いたのがこの四台。まあ、いろいろと試行錯誤してみます。それにしても、LOMO。トイカメラという定義自体ふざけていて認めたくないんだけど、でもLOMOの場合はやっぱり使い倒してみたら面白いんじゃないかって思っている。
それにしてもカメラはどんどん増えていく。もう、三十台はあるんじゃないか。カメラコレクターじゃないのに。むしろカメラクラッシャーと呼ばれ、畏れられていたくらいなのに。ただ持っているだけじゃなくて、ちゃんと一台一台と向き合っていかないとね。フィルムとも、じっくりつきあっていこうとおもいます。
写真の整理がとてもじゃないけど終わりません。こればっかりは時間をかけるしかない。デジタルは、こないだHDDがクラッシュしてからというものの、とかく絶対安全な保管方法がないデジタルですから、どれだけこまめにバックアップをとっても不安が拭いきれなくて焦ります。この際、外付けHDDを三台くらい用意して、すべて同じ内容をバックアッブしたらどうだ?とか、そういうクレイジーなことを考えたりもしてしまうくらい。DVD-Rだって、いつデータが消えるか判らないもの。どこにも、カタチとして残らないのがデジタル。だから怖い。
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ミリキタニの猫
- 2007年09月11日(火)
- 記 : DAILY DIARY
ドキュメンタリー映画「ミリキタニの猫」を観てきた。予告編を観たときからずっと観たいと思っていた作品。数ヶ月経ってようやく観ることが出来た。すごく良いドキュメンタリーだったよ。あたたかかった。映像を撮るうえで大切なものがちゃんと詰まっていた。書きたいことはいろいろあるけど、もうそういうことは書かないことにしたんだ。
上映後に、この作品の製作に関わっていた人のトークがあった。9・11に大きく関係している作品だから、今日のラスト上映後来たとのことらしい。いい機会だから、いろいろ話を聞いてきた。ドキュメンタリー作品を作る過程の苦労、製作における話などなど。
LINK → ミリキタニの猫
いま、ぼくも或る人のドキュメンタリーを撮りたいと思っている。詳しくは書けないのだけれど、それはかなりハードルの高いことだ。様々な理由から、"まず撮れない"という前提が大きな岩となって目の前を塞いでいる。しかしそれでも、なんとか撮るために、いま僕がもっている数少ない武器である"情熱"と"その人への、誰にも劣らない気持ち"だけでなんとか乗り越えようと目論んでいる。所詮、無理なことなのだろうか?「それはわからないよ」と言いたいので、なんとかがんばってみたい。「ミリキタニの猫」が見せつけてくれた「被写体への純粋な情熱」を忘れずにどこまでやれるかが大切なんじゃないかと思っている。
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GR視野心
- 2007年09月10日(月)
- 記 : DAILY DIARY
新宿まで印画紙を買いに自転車で向かう。電車賃すら、惜しまねばやってられない。こぐ、こぐ、こぐ。とちゅうとちゅう、GRで人を流し撮りする。新宿には、いろんな人がいる。道で寝ているひとがたくさんいた。どうやら新宿の舗装路は寝心地が良いらしい。
買い物が終わったころ、事務所から電話が入り、パソコンのセッティングをしてくれと頼まれる。原宿は神宮前まで自転車をこぐ。辺りはすでに暗くなってきていた。結局、パソコン一台をリストアし、アプリケーションを再度入れ直した。三時間かかってしまった。。。今日はプリント作業をするつもりだったのだが。
これからまた作業を始めます。
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すべての写真は虚像である
- 2007年09月 8日(土)
- 考 : THINK PHOTO
《牢獄の父》
僕が寄せる写真への想いとは、記憶喪失になる前の中平卓馬の思考に案外と近いものがある。写真から感情を漂わせることがイヤなのだ。感情的あるいは情緒的、それらを超えた、突き抜けた"まこと"を写したい。
感情とは、写真の前では邪念でしかない。被写体が「こう見せたい」とか「こういう自分を撮って」等の念と抱くというのは以ての外。はたまたそれを人は人間性と呼び、それを撮ることを美学と人は呼ぶのかもしれないが、そんなのは全くもって要らないというのが私の考えである。
なにかこう、「人が人でなくなった瞬間の美」を超えるものはないと思ってしまう。それは、ふと力を抜いた瞬間でもあるし、ひとりの人間を何億枚と撮ることでふたりの間のカメラという異物が異物として認識されなくなった瞬間でもあるのかもしれない。とにかく、写される者がカメラを意識している時点で、そこに写った写真とは、ただの"記録写真"である。それは僕の呼ぶ"写真"では、ない。
たまに、カメラというものをまったく知らない人を撮ってみたいと思うことがある。彼あるいは彼女はそれと対峙したとき、なにをその顔に淀ませるのだろうか。とまどい?不安?怒り?少なくとも、最初の一枚はもっとも完璧に近い自然体を撮ることができるはずである。そんな一枚を、僕は撮りたいのである。それは生まれたばかりの赤ん坊でいいのかと言えば、否である。赤ん坊とは"無"の状態。撮りたいのは、"無"ではないのである。あくまで"有"のなかでの"刹那の無"。"ゼロに等しい無限大"とでも言おうか。
まったくもって矛盾した話であるが、そもそも人間とは矛盾した生き物なので、気にしない。
撮り手の感情は果たして写真に残るのだろうか。ふたりのあいだの"異物"が消えた瞬間の写真は、とても美しいはずだ。そしてそんな写真をいままでたくさん目の当たりにしてきている。突き抜ける真実。むしろそこに残ったものこそは「素の感情」なのかもしれない。それならそれで、ぼくはもしかするとそれを追い求めているのかも、しれない。
写真は刹那を永遠の証言としてしまう。どんなに虚を重ねたとしても、それはいともたやすく見破れてしまう。人の表情とはそれだけ繊細でわかりにくそうでわかりやすい。写真を撮っていると、人のふとした些細な表情でその人となりが見えてくる。眼や口のカタチやシワ、動き、ゆがみ、そうした顔を形成するパーツがすべてを物語ってしまう。それは悲しいことでもあり、そこにはもう言葉なんて必要としない。言葉を交わすことに意味を見いだせなくなってくる。だから写真家とは口数が減っていくのである。
ことばなんて、うそっぱちだらけだ。でも写真はもっとうそっぱちだ。そしてうそを撮り続ける写真家とは、悲しい道化師なのである。そのことを知っているひとは、案外すくなかったりする。
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キャリブレーション
- 2007年09月 8日(土)
- 考 : THINK PHOTO
ついこのあいだの"HDDクラッシュ事件"のあと、また新しいHDDにOSXを入れ、環境を再構築させることでふたたび作業ができる様になったわけだが、ひとつひとつと、微妙な設定のし直しが必要になってきて、その一つにPCとプリントとのキャリブレーション問題があった。
PCで写真をプリントする場合、ディスプレイとプリンタとの間における色味の相違の問題が出て来る。これを調節し、合わせることを"キャリブレーション"と呼ぶが、厳密な部分を追究し出すとかなりの根気と時間と印画紙とインクがかかってしまう。微調整の結果はプリントすることでしか分からないからである。厳密にはここにデジカメも加わってくるのだが、これに関してはsRGBかAdobeRGBのどちらを選択しているかだけでも判れば問題ではない。ほんとうに曲者なのは、プリンタなのである。
こいつにここ3日ほど悩まされた。幾度も幾度も調節すれども、印画紙がどんどん消費されていくだけで目標からはどんどん程遠くなっていくばかり。どうしてもプリント結果がイエロー寄りになってしまう。もはやプリンタを買い換えるしかないのか…とまで考えるようになっていた。変えたところで同じ問題はあるだろうに。
がしかし、さきほどネットにていろいろお勉強をしていたところ、意外な情報を手に入れる。世の中にはキャリブレーションを自動でしてくれるソフトがあるのだが、そのひとつに「huey(ヒューイ)」というものがある。これは、付属のデバイスをディスプレイにくっつけて、そいつから測定をすることで自動でキャリブレーションをしてくれるというもの。他のキャリブレーションソフトが数十万(!!)する中でもヒューイは1.5万程度で手に入るため、とてもお手頃なアイテムである。
とは言え、極貧の僕。そんな価格ですらためらってしまう。。。なので、少しでもキャリブレーションに関する情報が欲しくて調べていたら、、、どうやらヒューイは基本的に、ディスプレイのガンマ値をMac標準の1.8→PC標準の2.2に、色温度を6500Kにするらしい。このふたつなら、マックの"システム環境設定"→"ディスプレイ..."→"カラー"→"補正..."でいじることが出来る。これはひとつ試す価値のある値だと思い、さっそく試してみることに。結果、ディスプレイはよりコントラストがつき、色味がイエローがかった。
この時点でこの雰囲気にピンと来る。今までのプリント結果では、ディスプレイよりも黄色みがかっていたからである。ディスプレイが黄色に近づけば、プリント結果も自然と近づくわけで、その原理は分かっていた僕は、今までプリンタの設定でカラーバランスをいじっていたのだが、RGBとCMYの関係性はただ一色を調節すればいいというものでもなく、全体の絶妙なバランスが不可欠である。うまくいかなかったのは言うまでもない。しかし今回、ディスプレイのプロファイルがヒューイの設定にした途端に、それらしい色になったということは期待してもいいのではないだろうか。
事実、プリントの女神はようやく微笑んでくれた。今までとは打って変わって、ディスプレイに近づいた色が出ているではないか!これぞ、感無量の一言である。あとは本当の意味での微調整だけだ。ここからの研究で判ったことは、印画紙の種類でも色味が大きく変わってくるということ。僕のプリンタ"Canon IP7500"においては、写真用紙だとイエロー寄りに、マットフォト紙だとレッド寄りになる。そこで、微調整として写真用紙の場合、C +13, M +5, Y -8, B +5, 濃度 +5に。マットフォト紙の場合、C +10, M -10, Y +10にしてみた。これによって、更に"真実"に近づいたわけである。
これでようやくプリントに専念できます。
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晴れた日
- 2007年09月 7日(金)
- 記 : DAILY DIARY
台風が一過した。台風一過。つい最近まで、「台風一家」だとおもっていた。台風にも子連れがいるんだなあとしみじみしたりもしていた。日本語は同音異義語が多すぎる。と、日本語のせいにしてみる。
いそがしい。なんだかんだで毎日しごとである。BOSS宅と事務所の行き来。会計、事務、プリント作業。BOSSブログの更新。海外のクライアントとのメールでのやりとり。。。いそがしいが、吸収することは大いにたくさんある。近頃は、とても自信がついた。海外とのメールのやりとりも増えたせいか、しぜんと英語が日常的になった。まだ話すのはぎこちないけれど、文章はあまり考えずに打つことが出来るようになった。そしてすこしずつ、じぶんでも写真の仕事をしてみたいと思えるようになった。そういう、自信。
いろいろと、これからの作品の方向性が決まりつつある。あとは、旅立つだけである。この足を一歩、踏み出すだけである。ぼくは写真家だ。カメラマンでもなければ職人でもない。技術はなくても、写真家の心があるのでそれでいいのである。写真を撮って作品にして個展をして写真集を出して。。。夢は限りなくあるのである。それらはすべて、叶えるものであるし実現するためのものなのである。夢は決して儚くない。そう、信じたい。
今後、WEB上での作品展開を抑えていこうと思っています。それか、制限。やはりパソコンあるいはネット、これらは写真表現に適していない。ブラウン管はなぜ横長なのか。まずそこからの疑問符である。よってからして、今後写真家として、紙媒体での試行錯誤にとりかかっていこうと思っている次第であります。
早稲田大学文学部前にて
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ケータイに対応しました
- 2007年09月 7日(金)
tomokaprogressがケータイに対応しました。
ケータイに適したスタイルで閲覧することができます。アドレスはこちら。ケータイにアドレスをメールソフトから送りたい場合は、こちらをクリックしてください。メールソフトが起動します。
ケータイからもtomokaprogressをよろしくお願いします。
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森山大道批評書きました。
- 2007年09月 6日(木)
- 記 : DAILY DIARY
BOSSのブログで、森山大道の《写真よさようなら》を、中平卓馬《なぜ、植物図鑑か》や《PROVOKE》をヒントに分析評論しました。日本が誇る写真集のひとつですから、おいそれと下手なことは書けないので慎重に書いてみました笑。ぜひ読んでください。
*
こないだの胃酸の逆流の件ですが、今日ようやく病院にて内視鏡検査してきました。例の胃カメラをノドからつっこむヤツです。初体験。睡眠薬で眠らされるので全然いたくないはず…なのですが、ぼくは麻酔が効きにくいため、最初かんなり痛い思いをしました。それでも途中から記憶が飛んでいますが。
結果は、「十二指腸潰瘍が3カ所」とのこと。うーーん、ストレスか。はたまた、酒か。。。どちらにせよ、養生しなければならないですね。しばらくは刺激的な食べ物を避けることにしましょう。
*
台風すごかったですね。今日は仕事で事務所に向かうために夕方七時ころ表参道を歩いていましたが、あまりの強風で歩けませんでした。傘は壊れそうになるし、ズボンは一瞬にしてビショヌレになるわで散々でした。明日は台風一過かな。晴天になるといいですね。
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happy birthday to me
- 2007年09月 3日(月)
- 記 : DAILY DIARY
24歳になりました。
23歳になったとき、僕はこう考えました。「23って不思議な年で、22だとなんか青年だけど24って大人な感じ。22では出来なかったことにも挑戦できる気がするし、24では出来ない冒険もできる気がする。だから23歳になったこの日からの一年って、実はすげー大切なんじゃない?」。実際、まちがっていなかったとおもいます。そんなことを考えながらがむしゃらにやってきた一年でした。気づけば一年前では考えられないところでいろいろやることができるようになっていました。
では、24歳はどうすればいいのだろう?まず、強くなります。肉体的にも精神的にも。たくましい体と打たれ強い精神。それからそれから、奢れずにいろいろとやっていきたい。自信と奢りは紙一重です。そこを見極めて、まわりのひとを大切にしながらやっていきたい。そして25になる頃は、独立してもやっていけるようなしっかりとした大人であるために、この一年をまた積み重ねていきたいと思います。
どうかみなさん、あたたかい眼で見守ってください。
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しやしんしやんしやんし
- 2007年09月 1日(土)
- 記 : DAILY DIARY
きょう、自転車で新宿をとおった。
広告の看板が目に入った。《あっ、やっぱり広告写真好きだ》そう、思った。写真はシンボルでなければならない。なぜならば、一コマの制止世界で人を魅了しなければならないからだ。僕は、映像は写真の妥協点にあると思っている。なぜならば、映像はコマの流動性で見せるものであり、そこには一コマの重要性は大して重んじられていないからである。
シンボリックであるということは、モノの配置が重要になってくる。構築された世界。スナップであっても、"疑似構築"であるような、そんな偶発的な出来事が、モノをさも計算されたかのように配置した瞬間に切り取られることが不可欠である。つまりは、そういうことである。
きょう、自転車で外苑西通りをとおった。
ずっと存在は知っていたが、交通の利便性の悪さから行くことのなかった写真集専門古書店《shelf》に寄った。めあては森山大道のヌードトランプである。なかなか置いているところがないので、市場から無くなる前になんとか手に入れたく、今日ようやく手に入れた。でも、写真集「kagero&colors」は、いらないなと思った。ぜんぜん面白くもウンともスンとも来ない。感動が、ない。もう、森山大道はおわった。そもそも彼の写真は新しすぎた。彼の写真こそ、シンボリックであるからだ。であるからして、写真集というカタチよりかは二次的な《広告的写真利用》。彼の写真の場合、それが最も適したスタイルである。というわけでヌードトランプには意味を見いだすことが出来たワタクシは、それの購入に至りました。あと、森山大道の網タイツ写真ウォッチがあり、とても欲しくなりました。
きょう、自転車で表参道をとおった。
夕方だったので、ヒトゴミを避けて通るのが困難だった。でも急いでいたので、スピードを出していた。前から、ケータイをいじる外人が早歩きで来た。ぶつかりそうになった、轢きそうになった。《あ、あぶねえ!》と想いながらその外人の顔を見たら、
ジローラモだった。
ジローラモは、やっぱりチョイ悪オヤジな恰好をしていた。

webでジローラモの写真を探してたら、最初の出てきたのがこの画像だった。そんなに仕事ないのかな…と、他人事ながらにかわいそうになった。がんばれ、ジローラモ!!ふんどしもあながち似合って無くないぞ!でも、しごとは選ぼうね。
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