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本 : PHOTOBOOK Archive

The photobooks I bought over the past month

ここ一ヶ月のあいだ、写真集入手ラッシュでした。せっかくなので怒濤のリストアップ。


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Dr. Ikkaku Ochi Collection (越智一格コレクション)

 日本のフリークスがまとめられた写真集。とは言っても、好奇心からの撮影ではなく、れっきとした医学写真の類である。コレは、越智一格という医師が1895年頃に写真師に撮影させた医学写真が基となっており、ソレを成山明光という日本有数のフリークス・コレクターが編纂し、写真集というカタチで2004年にドイツにて出版したモノ。365枚という膨大な数の奇形写真を一冊にまとめあげたのみならず、その患者が日本人という、かつて閉鎖された国のモノともなれば、そこに如何なる価値が見いだせるか等といった問いは愚問である。

 正直、観るに堪えないような悲惨な現状がそこには写っている。現実というのは時としてあまりに衝撃的すぎ、それを時代問わず克明に物語ることができるのが写真であることを再実感させられる一冊だ。100年以上も昔の写真にもかかわらず、その時代の時の一部を共有することができたかの様な感覚に陥るのは、そこに撮影者の意図がなんら感じられないからであろう。

 そう、無味乾燥。そこに"記録性"という特性のみが許され、他の意図は一切受け付けない聖域さ故の、医学写真のすばらしさ。写される立場の患者の表情や姿勢からも、如何なる感情も感じられない。徹底された記録としての写真。しかし見る人によっては、そこに異なる価値観を見出すのだから面白い。記録性こそ、通常忘れられがちな写真特性ではあるが、時としてあらゆる写真の性格の内でも最も優れ、かつ唯一無二の性格であることを我々は忘れてはならない。それは、時として他の追随を許さない写真性として、我々に無言の内に問いかけてくる。


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ミカル・シェルビン "Strangely Familiar"

 いわゆるサーカスという世界に属する人々のポートレート。正直なところ、ミカル・シェルビンという写真家のことは知らないし、紀伊国屋の写真集コーナーにて偶然見つけ、サンプル本をパラパラとめくり、その結果気に入ったから購入しただけという、至ってシンプルな入手経路。

 この写真集を購入するに至った最大の理由は、"写真の巧さ"である。サーカスというテーマに固執して撮られたポートレート群であるから、そこに何か、撮り手の熱い気持ちやコンセプトといった背景は様々あることだろう。だがそうした難しいコトは、まだ深く観ていないので今回は置いておくとして、フレーミングがとても良い。計算された配置によって、モデルはますます被写体としての価値を深めている。写真において如何に構図が重要で、撮り手の気持ちを反映させる特性であるかを思い知らされる。

 そして、写真集の作りが大変秀逸だ。写真のフォーマットはすべてスクウェアタイプではあるものの、モノクロとカラーが混在している。しかしページを最後までめくっても、どこにも違和感は感じられない。写真の撮影時においても、セレクトにおいても、そして写真集作りにおいても、すべてに因果律が潜んでいる。黄金比。被写体と撮者との間における、見えない運命。シンプルな点から観ても、クオリティの高い一冊だ。


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TERRY RICHARDSON “TERRY WORLD”

 言わずもがな、世界の問題児・テリーリチャードソンの金字塔、“TERRY WORLD”の再編版。TASCHEN 25周年記念キャンペーンの一環で堂々の復刻! オリジナルは2004年に出版され、反響の内にSOLD OUTした、テリーの写真集の内でも最高傑作と呼ばれる一冊。以前のバージョンの内容から、様々な理由からカットされた数十枚の代わりに70枚の新作が追加された。

 クオリティ自体は以前のTERRY WORLDの方が良いのは当たり前のことで、やはり数年前の写真と最近の写真とではテンションがちがいすぎる。テリー自身がノリにノッていた2000年初頭の頃の写真はやはり神がかっている。写真集とは、そう単純に内容を変えて面白くなるというようなモノではない。“その時、その写真家が、どういう気持ちで、どういう環境の中で、どういう人々に囲まれ、作るに至ったか”。それこそが写真集の価値であり、全てである。

 とは言え、やはりテリーはテリー。まったくちがう写真集と捉えたとしても、素晴らしいテンションである。もはや誰にもマネすることの出来ない領域。ヘンタイで、エロで、バカで、子供で、でも愛がある。そんなテリーのすべてがつまった愛くるしい一冊。別タイトルをつけるとすれば、“ALL ABOUT TERRY”でキマリだ。


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中野正貴 “東京窓景”

 “TOKYO NOBODY”でお馴染みの、東京をテーマに執念のごとく撮り続けるフォトグラファー・中野正貴による傑作。東京タワーや浅草のアサヒビールタワー、六本木ヒルズ、月島のビル群、上野の西郷像、雷門、東大、渋谷のスクランブル交差点、TBSなどなど、普段我々にとってなじみ深い東京のシンボルを、“窓”というフレームで切り取るというシリーズ。そう、我々はカメラというデバイスを持たずとも、日頃から“窓”というフレーミングの世界を垣間見ていたのだ。それを、“東京”という限定した範囲内で作品として昇華するとは、実に新鮮かつ大胆なコンセプト。都市はカメラあらずとも切り取られ、そうして初めて風景としての現実味を帯びるのだった。

 と同時に、こうした“東京のシンボル”は慣れ親しんでいる一方で、案外とそれらの近くに住むということはなく、そうした希有な環境から観る“東京のシンボル”たちは、我々にとってのそれとはまた別の装いを見せる。そこには“今までに知ることの無かった違和感”が漂っており、我々日本人にとってそうした“東京のシンボル”が、如何に空虚で、実際には何も観ていなかったということを思い知らされる。そう、知っていそうで知らなかった“東京のシンボル”の都市に対する働き、つまり環境に与える影響が、この写真群からは醸し出されている。

 若者の住居をひたすら記録したことで知られる“TOKYO STYLE”の都築響一氏と似た手法で日本を鋭く積分してゆく中野氏であるが、これは“TOKYO NOBODY”以来の傑作である。ただ惜しいかな、“撮影期間一年”という前提を基にスタートしているため、正直なところ未完成である感は否めない。彼はこれに関して後書きにてこう述べている。

“一年間という期限の中で、この大都市の全てを掴みとろうという試みは、甚だ無謀な行為だという事は重々承知していた。しかし、意味も方向も見定めず、突っ走る東京の明日が見えない現在、今一度身の回りを再認識する事でしか、次の一歩を模索する術が無い。”

 たしかに、このテーマでは奥深さは必要とされず、徹底された外観としての日本の窓景を切り取ることが重要である。よって、彼の言うように、今一度我々日本人が日本のそうした景色を再確認するためには、どこまでも表面的な皮肉性がこのテーマには求められるのかもしれない。が、勿体ないという感もまた事実である。果たして都市としての表面性の露呈のみがこのテーマの最大の目的行為であろうか。僕は、“もっと厳選された窓景”を観てみたいと思った。彼は、写真集というカタチにする行為にあまりに焦りすぎてはないだろうか。そんな嫌いが読み取れた。

 とりわけ日本のフォトグラファーは、写真集というカタチにするコトに焦りすぎるのが欠点だ。作品に対する時間のかけ方が少なければもちろん、作品自体の重みも少なくなる。もっと時間をかけて1つのテーマにとりかかるというコトは、もはや今の日本人には不可能な行為なのだろうか・・・。
 せっかく素晴らしいテーマなだけに、惜しい一冊。


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Anna Gaskell “Anna Gaskell by proxy”

 ASPEN ART MUSEUMで2000年の8月ー10月間において行われたアナ・ギャスケル展の図録。看護婦姿の少女達が怪しい遊びに興じている。ストロボによる強い陰影と不安定なフレーミングによって、それぞれの顔はおぼろげでどことなく怪しい。実に怪しい。それが少女たちであるから、なおさら怪しい。女の子だけに理解の出来る世界。オトコである僕としては、入り込めることのない世界。だからこそ、愛おしく感じる。

 “不思議の国のアリス”好きの僕にとって、この手のシチュエーションには弱い。ストーリー性を介している様でいて、それぞれのピクチュアは独立している。このシリーズは“ANNA GASKELL”という写真集にも収録されていたが、断片的であった。以前“渡辺克巳”の写真展を観にワタリウム美術館を訪れた際、地下の写真集屋で発見。即買い。


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細江英公 “薔薇刑” 1985年APERTURE復刻版

 細江英公の伝説の写真集“薔薇刑”を手に入れることができた。とは言ってもコレは復刻版のうちの1つなので、コレ自体に価値が在る訳ではないが、それにしても大好きな写真集の1つであったのでとてもうれしい。細江英公は素晴らしい写真集を多く残している。舞踏家・土方巽を撮った“鎌鼬(かまいたち)”、舞踏家・大野一雄生誕百周年記念の写真集“胡蝶の夢”、ブラック&ホワイトで男女の交じり合い、その関係性に芸術的プロセスから迫った“おとこと女”などなど。細江氏は日本を代表する写真家の1人である。

 本作は、かの三島由紀夫を被写体に、三島宅でシューティングという、実に豪華絢爛な作品。細江氏は人物とのセッションにとことん強い写真家であるから、無論、三島の自己陶酔感をプラスに引き出すことに見事なまでに成功している。

 だが、この作品における見所はソコではない。この写真集において、細江はフォトコラージュを多用している。プリント時における多重露光によって生み出された“非現実な世界”には、“鎌鼬”のようなドキュメンタリーテイストの気迫とはまたちがった迫力が介在している。そう言った意味で、細江は限りなく写真家として“表現”に徹している。媒体によってその手法を巧みに切り替え、時に俊敏に、時に重々しく、その目線を切り替える。真っ当な表現を突き詰めることに躊躇がない。

 今の写真家には、こうしたマジメさ、言い換えればストイックさが足りない。そういった意味で、細江氏は正統派写真家。コレは写真の教科書として一冊持っていて損はない。


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荒木経惟 “エロトス”

 アラーキーの写真集の中でも僕が最も好きな一冊。ようやくオリジナルを手に入れることができた。ちなみに本シリーズは“荒木経惟写真全集”シリーズにも組み込まれている。まさにアラーキーという写真家の目線を知る上で貴重な一冊。写真集のタイトルになっている“エロトス”とは、“エロス(性)”と“タナトス(死)”を合わせたアラーキーの造語である。

 本来、写真行為とは“死”と切り離すことの出来ないモノであった。それはロラン・バルトを始めとする多くの思想家によって問われてきた概念であるが、それを実際の写真性として真の臨海まで昇華させることのできた写真家の最たる一人が、このアラーキーであり、この“エロトス”シリーズであった。

 アラーキーの有名な文句の中で“男と女の間には写真機がある”という一句があるが、それはまさに“写真と性”の関係性を簡潔に表したモノと言える。そう、男と女の間には確実に一枚の膜があり、それを破るコトで2人は初めて男女として交わることを許される。アラーキーはフィルムを“処女膜”とよく言い表すが、言い得て妙。まさに、男女のあいだに存在する一枚の膜は、写真行為(シャッター音)によって破られる。写真を切るとは、その処女膜を破くことを意味し、そうした意味から言って、フィルムは処女膜の象徴なのであった。

 花、口、眼、蛇口、イチジク、地面の地割れ、そうした本来“性”とは無関係なシンボルですら、アラーキーの手にかかると“エロい”。なぜか。その理由の1つとして、“マクロ技法”を用いていると点が挙げられる。マクロ撮影によって被写体は部分的に解体され(撮影)、写真家の手によって再構築される(プリント)。そして“絞り込む”ことで、撮り手の心のベクトルが露呈される。

 それでは、“絞り込む”とは如何なるコトか。それは“カラーもしくはブラック&ホワイトの選択”であり、“フィルムの粒状性”であり、“フレーミング”であり、“露出”であり、“印画紙の硬さ”であり、“現像”であり、“写真のセレクト”であり、“セレクトの順番”であり、“タイトル”である。

 すべては当たり前の過程を経て、カタチを成す。アラーキーといえども、それは同様である。なにも難しいことはしていない。彼はそうした当たり前の行為の中から独自性を切り開く。違いはどこにあるのか。それは“問題意識の持ちよう”である。彼は紛れもない天才であり、写真の神である。


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PETER SUTHERLAND “BUCK SHOTS”

 ピーター・サザーランドによる、鹿のシリーズ。惜しくも写真展は見逃してしまった。ドキュメンタリー・タッチ。サイン本が残り五冊で売っていたため購入。とりわけ述べる点なし。どうもこの手の写真は批評の仕様がない。というのも、僕自身にとってあまりに視線の掛け離れている世界だからだ。だからこそ面白くもあり、と同時に嘲笑したくもなる。

 こういった類の写真がおもしろいのかおもしろくないのかはまだまだ僕にとっては疑問の内である。ただ1つ言えるのは、ミーハー心で写真集をただ“イイ”と言うことだけはしたくないということ。それぞれには確かに意味が存在し、それを汲み取ることが観る側の使命である。なのでコレに関していずれまたじっくり触れることが出来るコトを期待しよう。


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WEEGEE “NAKED CITY”

 40年代に活躍したフォトグラファー・ウィーギーのあまりに有名すぎる一冊。深夜の警察の無線を傍受して、犯罪や殺人、火事などといった、ありとあらゆるニューヨークの事件と事故をフラッシュで写し大反響を呼んだシリーズ。ドキュメンタリーとしての写真性も強さ、その時代における特異性が見て取れる。

 ただし、映画やテレビで目の肥えてしまった現代人にとって、こうした写真は時代遅れともとれ、もはやそれほど強烈ではないかもしれない。かく言う僕がその内の一人である。ウィーギーの写真を観ても、とくに何も感じられない。それは、その時代だからこそ意味があった写真群だからだ。時代による価値観の変容を思い知らされる。写真史における資料として貴重な一冊。


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RICHARD KERN “NEW YORK GIRLS”

 VICEのFASHION PAGEでもおなじみのリチャード・カーン。エロを撮らせたら旬の男である。だが、正直なところ僕はカーンのエロスはあまり理解することが出来ない。アラーキーやテリーには“表現としてのエロス”が介在すると信じているが、カーンにとってのエロスはあまりに“消費的”であり、作品としての存在性に欠ける。そういった点では、篠山紀信に近いだろうか。この消費社会・消費文化の中での性分化をありのまま描く。そんなスタンス。だがこの写真集をめくっていると、たしかに普通ではない彼の、性に対する固執さが伝わってくる。とかく性を扱う文化の担い手たちは異質である。カーンもまたそんな中の一人であり、そして写真に取り憑かれている人間の一人なのだろうと確信した。


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都築響一 “ラブホテル Satellit of LOVE”

 実におもしろい一冊! “TOKYO STYLE”でお馴染みの都築響一による、特異のアーカイブ・タイプの写真集。ラブホテルというモノは日本独特のモノなのだろうか。そうでなくても狭い島国の日本、若者たちは自分たちの空間を十分に確保できないまま、成長する。思春期を迎え、異性との接触を覚え、快楽と愛の確認に勤しむ。だが、そのための場所がない。それはオトナも同様である。だからこそ、この日本において多様化したラブホテルは生まれたのではないだろうか、と今ふと思った。そんなワケで、日本独特のラブホテルの多様性を都築は写真でまとめ上げた。

 さすが元編集者なだけあって、その視線は斬新かつ鋭い。メリーゴーランドやコーヒーコップのある部屋、王冠型のベッド、下にライトが埋め込んであってレインボーに輝くベッド、SMグッズの充実したさながら“拷問室”のような部屋、昔懐かしの回転ベッド、中華風の部屋、貝殻バス、気球型ベッド、スペースシャトル型ベッド...etc。“誰が考えてるんだ!”と驚嘆するほどの豊富なバリエーション。お客さんを楽しませることと、ホテルとしての独自性の追求の意思が伝わってくる。

 どんな文化でも言えることだが、やはり日本人という人種はおもしろい。すぐに凝るし、どこまでも追求する。元来オタク気質だからこそ、ディープな文化が次々に形成されていくのだろう。アーカイブとして、日本の文化を1つ1つカタチにしようという都築氏の姿勢には共感の意でいっぱいだ。

リメイク写真集 : 森山大道「KAGERO & COLORS」 / 沢渡朔「NADIA with WHITE」

リメイク写真集で欲しいものが幾冊もあって困る。


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まず、森山大道の「KAGERO & COLORS」。彼の伝説的写真集「写真よさようなら」をリメイク復刻したPower Shovel Booksから、今度は彼唯一のヌード写真集とされる「蜻蛉」がふたたび生まれ変わって出版された。今回は当時の彼のカラーヌード写真も織り交ぜてのリメイクということになる。僕個人としては完全復刻という形で当時のまま手に入れることができたら嬉しかったのだが、それでも新しいものを作りだそうという意欲はここ最近の写真業界に見られない部分であるし、もっともっと話題をひっさらってこの業界を元気づけて欲しい。マニアだけのお宝グッズとしての写真集ではなく、写真を学ぶ若き写真家たちの教科書としてもっともっと数を出してほしい。そういった点からすれば、このような形での出版は同意できる。ただ、値段がお手頃でないのが宜しくない。7,350円もしてしまうから、学生諸君が手軽に購入できないのである…。学生を終えた僕ですから、購入にはためらってしまう。もっとも現実的に購入に至るまでのお金自体、無いのだが…。


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正直なところ、どちらかというと写真集と同時に作られたこの特製ヌードトランプの方に興味がある…。森山大道のヌードトランプなんて、ちょっとオシャレでいいんじゃないだろうか。こういうアイテムが数年後に化けてくるんだから、あとで後悔したくない人は狙った方がいいと僕は思う。こちらは税込みで2100円。トランプとしては少々高いが、森山大道の一作品と思えば安いものである。とは言え、ここまでくるともはや本人の意図からは外れた商品ではあるだろうが…。

LINK → 「KAGERO & COLORS」 DAIDO MORIYAMA

 

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次、沢渡朔の「NADIA with WHITE」。氏の有名な写真集「NADIA」の部分リメイク物だ。ただリメイクで収まらず、こいつはサイズがまずデカい。B3である。しかも16ページまで絞って創られている。写真は大きければ大きいほど見栄えも格好もつくものであるから、こういった試行はとても興味深いしどんどんやるべきだ。ついこないだまで、青山のdisplayでこの展示会が行われていたのだが、あいにく仕事やらなにやらで結局足を運ぶに至らなかった。名作「ナディア」から12点を選び、紙、装丁にこだわって丁寧に作られている、とのこと。発行が2007年7月、Art&Science。B3判、16頁。B3の大きさで、氏の「ナディア」を堪能できること自体、贅沢である。だが然し、然しだ。これもたま、7,980円という大台に乗っている。これでは僕の財布もその口を固く閉ざしたままである。なんとかならないのか!

"FTW" by Terry Richardson



Terry Richardsonの写真集"FTW"が届いた。これは今年の夏に海外で開催されたexhibitionで同時出版されたもの。今のところ日本で買うとなると入手困難な一冊で、手に入るとしても定価の二倍以上の値段がつけられている。そんなのを買うのはバカバカしいということで僕は今回、初の海外からの購入に踏み切った。すると送料込みで88ドル程度で収まり、しかも予定よりも二週間早い九日程度で届いてしまった。今回の購入によって、僕のコレクターとしての触手が海外までも範囲となってしまったことは喜ぶべきか否か。無論、喜ぶべきなのだろう。


さて、今回の写真集。今までのものとは一見して異なるタイプの内容。というのも、タイトルの"FTW"は"Fuck The World"の略。あっちの放送ではfuckにピーがかかっていたりとfuckという単語に対して敏感なのでそこに考慮してこのタイトル、ということだろうか。タイトルからしてパンクなイメージだが、中身もまた期待を裏切らないパンク・テイスト。1983年、テリーが丁度パンクロックに没頭していた時期の彼の友人たちを収めた、まさにテリーの原点とも言えるその内容はテリーリチャードソン研究者である僕にとっても貴重な資料となった。

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若き日の荒木に潜む二人の巨匠の影


雑誌「太陽」創刊一周年記念号。

歴代「太陽」において最も貴重なものとして有名なこの一冊。なぜ貴重とされるのか。その答えはこの"一周年"というキーワードに隠されている。そもそも太陽はグラフィック雑誌として主に写真を中心として展開させてきた。そして一周年を迎えたこの年、写真を対象とした賞「太陽賞」を設立することになる。

その第一回太陽賞に選ばれたのが、他でもないあの荒木経惟だったのだ。
 
 
 

 

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Rineke Dijkstra : "Portraits"



rineke dijkstra "Portraits"

  BY Rineke Dijkstra


English

160p / 69 Plates

9.75 x 13 inch / hardcover

Distributed Art Pub Inc (Dap)

ISBN: 1933045183
 
2005/04

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daido moriyama



daido.jpg Daido Moriyama

ISBN 0-9538451-7-6

82 Plates, offset paper,
unbound. Limited to 900 copies.

Price £60

100 of these contain
a signed 10 x 8inch print by Daido.

Price £100

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深瀬昌久"猫の麦わら帽子"


昭和54年の深瀬昌久絶版写真集「猫の麦わら帽子」を手に入れました。

氏の代表作である「遊戯」「洋子」「家族」「鴉」からすると、表紙からしても一見グレードダウンした印象の一冊ですが、しかしそれは中を開いてみなければわからないことでした。
 
 
すごいんです、この写真集。隠れた名作とはこのことです。

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深瀬昌久 "鴉""日本の写真家34"


先日、恵比寿は東京写真美術館にて開催中の【写真新世紀展】へと足を運ぶ
新たな視線から捉えた写真の新定義、そんなものを肌で感じ、やる気を発起される

その後、同館の三階に存在する図書室にも忘れずに寄ってみた

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深瀬昌久 "bukubuku"

写真家・深瀬昌久に、僕の脳みそは侵されてしまった

彼の写真から醸し出される、その形容しがたい緊迫感には、
どの写真家の写真をとって並べたとしても、敵わないだろう

それだけ、彼の写真は本物だった 僕は、本物を観た

 
 
 

大学に入ってからというものの、大学の図書館に一人通っては、
写真集ではない写真関連の本を読み漁る日々を延々と送っているが、
そんな中で深瀬昌久を知ったのは、去年のちょうど今ぐらいの季節

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