tomokaprogress
嗚呼、生きているのか死んでいるのか。それを知るのは、道の先の者だけ。踊るアホウに観るアホウ、同じアホなら踊らにゃソンソン。
- 2009年08月31日(月)
- リハビリ写真
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たま
- 2009年08月25日(火)
ひょんなコトから【たま】を聴き始めた。実に小学以来だ。
当時クラスメイトの岩波から教えてもらった、【たま】。ヘルメット頭のボーカルが印象的な、【たま】。当時でこそ、面白おかしく思いながら聴いていた。それでも気づけば、【たま】ばかり聴く日々が続いていた。中学に上がった頃から、【たま】を聴く自分を恥ずかしく感じ、自然と聴かなくなっていた。早いモノで、それから十数年が経っていた。
人生というのは輪っかになっているようで。ココに来て、【たま】の素晴らしさを再認識。
ランニング姿の石川浩司の、全身を乗せたドラムは心に響く。
ストレートに、心に、響き渡る。邪気がない。まるで水のようだ。
すとん、すとん。と、心に響く。聴く側もイイ脱力感に襲われる。山下清のような出で立ちをしたこの男は、身体で音を奏でる。格好なんて気にしない気にしない。自分の音を奏でるだけ。
柳原幼一郎の声は、一歩先からメンバーを見守る母親のようだ。
【たま】のカオス感は柳原がいるコトによってなんとかバランスを
とれているようなモノ。個性的でどこまでも響く声、善し悪しを知ったオトナな感も持ちつつ、知久と石川という2人の子供に合わせて【たま】という音楽を楽しんでいる感じ。【終わり】を知っているからこそ、【今】の楽しさがあるコトを知っているかのような、そんな姿勢が感じられる。後々の脱退も、なんとなく受け入れられる。
知久寿焼は、僕にとって【たま】そのモノだ。石川のランニング姿も相当なインパクトだったが、やはり知久だ。純だ。原石だ。こんなに心に響く声は聴いたコトがない。邪気がない。歌いたいから歌ってる、って感じ。それ以外になにか目的あるの? って感じ。抱きしめたくなる。
子供時代に【たま】を聴いていてホントに良かったと思う。
あの頃とはまたちがった【たま】の良さを知るコトが出来るのも、
あの頃を知っている今の自分がいるから。岩波、ホントにありがとう。
何度も言うが、【たま】は "水" のようだ。連綿としていて、
それでいて如何様にも変化する。なにかにブツかると、同じ力の分だけ撥ねる。そのはね返りが聴き手に心に染み渡る。不純な要素が混じっていないから、腐らない。いつまでもその純度を保つ。だけど柔軟。なにそれ? ハンパじゃない。
カオスが正しくまとまるとこんな感じになるんだろう。
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WEBスナイパーで写真レビュー開始
- 2009年08月 2日(日)
- 仕 : WORKING | 告 : ANNOUNCEMENTS
急きょお知らせですが、今月から〈WEBスナイパー〉さん上にて写真関連のレビューをVICE編集名義で定期的に掲載させて頂く運びとなりました。エロス全開・オマタおっ広げの〈WEBスナイパー〉ですが、潔癖性よろしく過剰なまでにキレイ透き通ったこの現代において、人の本性をさらけ出している感にウソがない。そんなベクトルが好きだったので、今回の件をお引き受けしました。
記念すべき第1回では、僕が期待する若き女流写真家・インベカヲリ★氏の展示について。彼女は、昨年の〈PHOTO ISSUE〉で取り上げさせて頂いてからずっと注目している写真家。まあせっかく彼女の写真についてレビューを書いたので、詳しくは以下のリンクよりお読み下さいませ。
僕もまた1つ媒体をてがけている人間なので、このようなカタチでちがう媒体で記事を書かせて頂くことで新たに学べるコトが多々あり、これからが楽しみです。レビューは月1〜2回程度の頻度で展開できればと考えています。楽しみにしていて下さいね。
http://sniper.jp/index.php
http://sniper.jp/008sniper/0084review/post_1587.php
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写真集『プリンちゃんのファッションショー』が週刊文春にて紹介されました
- 2009年07月28日(火)
- 仕 : WORKING | 告 : ANNOUNCEMENTS
TOMOKAFLEX撮影による"お洋服を着たネコちゃん"の写真集『プリンちゃんのファッションショー』が出版されました。取り急ぎ、今週の週刊文春にて紹介されました。探してみて下さいね。写真集は後日アップします。
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死霊の盆踊り
滝のような汗を流しながら自転車のメンテナンスをしていたら、近くから盆踊りらしき例のあの賑やかな音楽が聞こえてきた。「おお、もう夏か」と、その滴り落ちる汗以上にその音に夏らしさを感じた僕は、音を頼りに、さっそくメンテナンスの済んだ自転車で盆踊り探しの旅へと出ることにした。
しかし、行けども行けどもたどり着かない。「幻聴か? お迎えか?」と、いつものオンボロ自律神経が過敏に反応し出し、自転車を漕ぐ足が次第次第にフラフラと頼りなくなっていった。人っ子一人いない。気さくで陽気な、あっけらかんとした盆踊りの例の音が四方八方から聞こえてくる。方向は掴めない。もはやその音すら、音として感じられなくなっていき、身体を突き裂く触感として僕を襲ってきた。
と、そこで老婆が外でたむろしているのを見つけた。しかし、何故か声をかけるのが億劫に感じた僕は自転車で先に進んだ。ようやく音が近づいてきた。闇夜に食われる前になんとか辿り着けそうだ。人が集まっている。音が本格的にそのカタチを表してきた。ぼ、盆踊りだ。
会場は小学校だった。昔からお祭り好きだった僕は意気揚々と会場に足を踏み入れる。そこには、小中学生と親子連れしかいなかった。僕のような中途半端な年代の人間は、あるいは連れがいてこそ成立したかもしれないが、独りというケースは僕以外ではなかなかどうして見当たらないようだった。
やぐらを中心に、無表情の垂乳根たちがロボットのようにクキクキと踊っている。おお、死霊たちよ。なんと死臭漂うこと。やぐらを中心に円を描き、延々とグルグルグルグル踊り続ける。その構造は死と再生を意味しているにちがいない。つかず離れず、現とあの世とを行き来する垂乳根たち。しいて言うならば、"あの世とのダイヤルQ2"といったところか。きっと、じいさんも喜んでいるにちがいない。
着物を着た中学生の女の子たちが目につく。いいや、ヘンな意味合いで言っているのではない。どこかしか、まだ見ぬ恋を夢見て心躍らせる少女たちの表情。太鼓の重低音がその鼓動を増している。若さ、か。いつの間にか、そんな彼女たちの揺れ動く乙女心すら手に取るように判る年になっていた。
僕は、この感慨深い一日の記念にと、垂乳根たちが取り囲むやぐらをバックに、200円で手に入れたお好み焼きを撮り収めた。しかし肝心のお好み焼きは、〈SIGMA DP1〉というじゃじゃ馬カメラの低脳な機械仕掛けの計算ミスのおかけで、見事に白飛びしてしまった。ご愁傷様です。そんな僕の奇行を、着物姿の中学少女たちが疑りつつも好奇の目で見ている。「なにあの人ー」「ヘンタイなんじゃない?」「うわーやだー」僕のこんなちょっとした行為が彼女たちの好奇心をくすぐるのであれば、それはそれで満足だ。マゾにはそれくらいがちょうどイイ。
ついでとばかりに200円の焼きそばも喰らい倒し、満足の行った僕は、会場の熱気と興奮、あるいは男女のスペルマと滴る汗の冷めやらぬ前に後にした。祭が終わった時の空虚感あるいは焦燥感ほど悲しく辛いモノはないからである。今宵は如何なる興奮が繰り広げられるのであろうか。それを知るのは誰もいない。
会場のとなりには銭湯があった。ふらりと立ち寄ることにした。性器丸出しのみっともない獣たちが、そのイチモツを強調し男らしさを張り合っていた。服を着ている時にはコミュニケーション不足を短所とばかりに、うつむき加減に人と目を合わせることのない日本人だが、ひとたび肌を露わにするとコレほどまでに自信に満ち溢れた態度を示す。異様な光景。ささっと洗い場をクリアし、エイリアンの体液よろしく緑色の湯につま先から浸かる。おっと、コレはどうしてどうして......!! 湯は、想像以上に手強かった。とどのつまり、熱かったのである。足湯から始まり、数分後に全身を浸かる。なんとも言えないはがゆさ。銭湯のカベには富士山の絵が描かれていると、"こち亀"ではよくよく散見していたモノだが、実際のところ、それは事実だった。
飽き性の小生は烏の行水よろしくものの数分で出てしまい、長年の夢であった〈腰に手を当て、コーヒー牛乳一気飲み〉を現実とすべく、威勢良く番台へと駆け寄った。するとどうだろう、そこには〈ファイブミニ一辺倒〉という、なんとも寂しく化学的な光景が広がっているではないか。現実とはかくも厳しいモノか。一気に興ざめした小生は銭湯を後にし、腹いせとばかりに銭湯から出てすぐのところに設置された木製の傘入れを撮ることにした。ら、ONになっていた外部ストロボが「待ってました!!」とばかりに威勢の良いフラッシュを焚いてしまい、盗撮に間違えられる恐怖をゼロコンマ3秒で想像した小生は焦った。そうして逃げるように自転車をまたぎ、ポカポカに暖まった身体で家路についた。
帰ってきて写真を見返すと、お好み焼きの記念撮影に少女たちの好奇心が写っていた。なんだか救われた。スカンジナビアに行きたくなった。
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歯
- 2009年01月 7日(水)
今まで自分は "イイ歯医者" よろしく "自分と相性の合う歯医者" というのに巡り会うコトがなく、歯医者に行っては散々な目に遭ってきたため、ここ数年は歯医者へ通うコトすら敬遠していた。だがしかし、前歯に詰めていた得体の知れない白い物体Xの箇所がこの数年で次第に黒へと変貌してゆき、しまいには立派な虫歯と化してしまっていた。笑顔だけが取り柄の自分にとって、コレはどうにもこうにもならない由々しき事態であり、どうにかせねばと思いつつ、早数年。オトナになると虫歯は出来にくくなると聞くが、うん確かにそうだ。でも平行線を辿るコトはなかろう。今現在はなかれど、いつかはやってくる痛み。そうなってしまえば手遅れ。というワケでようやく昨年末に歯医者へと行ってきた。もうどうにでもなれと思い、適当な歯医者へと駆け込む。ランダムが功を奏したのか、今回の歯医者は大変律儀な紳士であり、助手もおばさん1人という、大変けっこうな堅気兄さんであった。通常、歯医者と言えばグラマラスな助手数人がイス周りを囲んでいてウホホとなるモノだが、敢えておばさんを持ってくる当たり、ホンモノである。実際、ウデもホンモノだった。ものの30分足らずで、自分がこの数年のあいだ地味に気にしてきた虫歯をいとも容易くキレイサッパリ真っ白にしてくれた挙げ句、まったく分からないほどの造形技術で新たに詰めていただいた。歯医者というのは全く以てアーティストである......などと、人を頼りにして生きていく姿勢は良くない。ちゃんと手入れをするよう心がけようと誓った一月五日の夜であった。それにしても、こうも汚い口周りというのもなかなかないのでは......と恥ずかしがるのでもなく誇らしげに感じてしまう当たり、我が身ながら狂気の沙汰である。
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一月三日
- 2009年01月 4日(日)
- 狩 : DAILY HUNTING | 記 : DAILY DIARY
祖父母の宅を訪れる。祖父は風邪を引いていて、いつものかわいらしい声からダンディーなそれへと変貌していた。こじらせないかが心配だ。この季節、八十越えのカラダにはなにかとしんどいモノがあるだろうから。
僕がふたりのもとを訪れたとき、ちょうど夕日が出ていてキレイだったので、2人を外に出して撮りたかったのだが、以上のような経緯もあって、祖母だけを撮ることにした。
自分のまわりの人たちがずっと変わらないと思っていたのは自分だけで、こうして写真という客観的なモノから眺めてみると、祖母も年を取ったのだなとしみじみ感じられる。永遠なんてモノはないのだから、しっかりと地に足をつけてそれぞれと向き合っていかなければならない。そしてそこに写真があると、ちょっぴり安心する。決して写真に媚びる必要はないけれど、いてくれると安心する。今年もよろしく、写真。
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迎春
- 2009年01月 3日(土)
- 告 : ANNOUNCEMENTS | 狩 : DAILY HUNTING

あけましておめでとうございます。今年もTOMOKAFLEXをよろしくお願いいたします。
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